おすすめの百合作品を紹介する⑧白い薔薇の淵まで

おすすめの百合作品を紹介する⑧白い薔薇の淵まで

物語に深く入り込んで戻ってこられなくなるような体験をしたいと思ったことはありませんか?そういう体験のできる作品を読んでいるときは幸せですが、同時に怖さもあります。ある一瞬、トリップしてしまうような怖さといえるかもしれません。
トリップ感のある作品といえば、ファンタジーやミステリーなどを想像しがちですが、恋愛ものでも見つかります。こと百合作品でおすすめしたいのが、中山可穂の『白い薔薇の淵まで』です。
中山可穂は女性同士の恋愛をテーマにした作品を数多く発表している小説家です。特に初期作品には激しい恋愛模様を描いたものが少なくなく、どの作品も現実世界を舞台にしているのに、どこか浮世離れしているような強烈な読後感が得られます。
『白い薔薇の淵まで』は2001年に発売された作品で、単行本化されたものでは6作目にあたります。この作品は山本周五郎賞も受賞し、当時はそれほど多くなかった同性愛をテーマにした作品ということで話題になりました。今回はこの作品の魅力について紹介したいと思います。

疲れるくらいに激しい感情表現

まず圧倒されるのが、強く激しい感情表現です。この作品は主人公の一人称視点で進んでいく恋愛小説ですが、とにかく恋に落ちていく心情の生々しさがすさまじく、瞬く間に物語に引き込まれてしまいます。
あらすじを紹介すると、物語は会社員の川島とく子が、年下の小説家の女性・山野辺塁(るい)と偶然出会うところから始まります。とく子はもともと異性愛者で男性の恋人もいるのですが、塁との劇的な出会いを経て、どうしようもなく彼女に惹かれていってしまいます。
恋愛小説というと、付き合うまでの心の揺れ動きや葛藤をじわじわと描いていくものも多いですが、本作は違います。二人は出会って間もないうちに恋愛関係になり、お互いにとって離れがたい存在になります。二人の関係の進展は驚くほど速いですが、その速さが逆に強く惹かれ合う二人の感情を物語っていて、リアリティも一層強まります。
性描写ももちろん多く、そのどれもが力強くも美しく、臨場感に溢れています。とく子は塁のセックスについて「とてもせっぱつまった、次の機会などないような、余裕のない抱き方」「肉食動物が生死にかかわる食欲を満たしているような趣」などと評するのですが、まさにそのような言葉にふさわしい激しい描写が次々と登場します。
しかし、噛んだり引っかいたりの獣のような描写があるかと思えば、次の瞬間には儚げな愛撫や美しい接吻の描写がなされたりと、読む側も気が気ではありません。没入すればするほどにいい意味で疲れる作品といえるかもしれません。

あまりある欠点と魅力を持つ人物

そしてもう一つ外せないのが、人物の魅力です。というより、塁の魅力です。物語はとく子の視点で語られるので、否が応でも塁に惹かれていく心情に移入することになるのですが、塁には「確かにこれは仕方がないな……」と思わせる強い人間的魅力があるのです。
塁はフィクションで描かれる小説家のイメージを地で行くような一筋縄ではいかない人物です。やさしさや思いやりに乏しく、奔放で嫉妬心も強い。とく子が手料理を振舞っても気に入らなければ手を付けず、仕事で疲れて帰ってきてもセックスにつき合わせようとする。友人と長電話でもしようものなら、嫉妬して電話線を鋏で切ってしまう……。
そんなおそろしく狭量な人物なのに、なぜか目を離せないところがあるのです。たとえば、塁は「何をしているときでも身のこなしがどことなく優雅」な人として描かれます。普段は執筆に打ち込むだけの質素な生活を送りながらも、突然高い店に連れていかれても常に堂々としていて、店で不備があったときのクレームの付け方さえ洗練されている。
その一方で、行為の最中に不意にとく子と別れることを想像して涙してしまうような純粋さや、劣悪な家庭環境で育ってきたことを思わせる孤独さなども持ち合わせています。
若干ネタバレになってしまうので、気になる人は段落末まで読み飛ばしてほしいのですが、二人が一旦別れようとして別れきれずに、よりを戻すときの描写がすごくいいです。
二人は距離を置こうとして、長らく連絡を絶って音信不通の状態になるのですが、ある日突然とく子のもとに塁から電話がかかってきます。その電話の第一声というのが、「半熟卵って何分ゆでればいいんだっけ?」という質問。この脈絡のなさに虚をつかれてとく子は塁に会ってしまうのですが、この子供っぽいやりとりの微笑ましさときたら……。二人にとってはしんどいシーンなのですが、どこか笑ってしまうような不器用さが胸に刺さります。
塁は物語中で「性格の悪い野良猫」など、猫になぞらえて描写されることが多いのですが、それこそ気まぐれな猫そのもののような人物です。高貴で奔放ながらも、不器用さや壊れやすさもあり、放っておけない人物として魅力たっぷりに描かれます。

脳裏に焼き付いて離れない美しいシーン

最後に紹介したいのが、絵になるシチュエーションの多さです。この作品には激しいストーリー展開に見合う、美しく印象的なシーンが数多く登場します。あまりストーリーの核心に触れるとネタバレになってしまうので難しいのですが、物語も佳境にさしかかると、他の恋愛小説ではなかなか味わえないような衝撃的なシーンも登場します。
たとえば、病室での逢瀬のシーン。二人はどうにもならない事情があって距離を置こうとするのですが、その期間に塁はあるきっかけで入院します。とく子はさすがに心配になって病院に駆けつけるのですが、久しぶりに再会を果たした二人は思わず病室で体を重ねてしまいます。
正直、かなり背徳的なシーンではありますが、下品なエロティシズムはなく、ひたすらに耽美で儚い情景描写が続きます。それまでに積み重ねてきた二人の関係性を思うと、胸に迫るものもあります。
これ以外にも、二人が初めてキスをする夜の交差点の描写だったり、塁が暮らす三鷹の森閑としたアパートの描写だったり、脳裏に焼き付いて離れない美しいシチュエーションはたくさん登場します。特に物語の終盤にかけての怒涛のシーンの連続は、驚く人も多いかもしれません。ある意味、恋愛小説の枠を超えたすさまじいトリップ感を味わえるので、ぜひ最後まで読んでほしいと思います。


そろそろ梅雨入りの季節ですが、この作品にも雨にまつわる印象的なシーンが多く登場します。物語の臨場感も増すこの季節に、手に取ってみてはいかがでしょうか。